2001年5月5日マリファナ・マーチ
宣言文(全文)


マリファナ・マーチ宣言文

 日本では大麻取締法により毎年1000人以上の人が逮捕されています(1999年1224人)。しかし、著しい有害性は認められない大麻(マリファナ)を刑事罰で取り締まっている現状は、人権侵害に他なりません。わたしたちは、人道に反した大麻取り締まりにより、数々の不幸な事態が生じていることを憂い、大麻の所持・栽培を個人使用に限り容認すべきであると訴えます。

 大麻には著しい有害性はないということが世界的にも認められています。大麻には麻薬(ヘロイン、コカイン)や覚せい剤(メタンフェタミンなど)のような身体的依存性や耐性上昇はありません。化学的にもヘロイン、モルヒネ、コカイン、覚醒剤などは、全てアルカロイドというグループに属し、精製されたり合成されて作られているのに対して、大麻はアルカロイドではなく、精製や合成されたものではない自然界の植物です。
 精神的依存性は認められていますが、それも低いものでコーヒーやお茶といった嗜好品と同レベルの問題です。健康に与える有害性では、タバコや過度の飲酒よりも低いということが認められているのです。
 また、これまで取り締まり当局は、大麻の使用が他の「麻薬」や「覚せい剤」の入口になると主張してきました。大麻を使用する人間は、必ず他の危険な薬物に移行するようになるから大麻を規制しているのだという説明がなされてきました。しかし、WHO(世界保健機構)や最近のアメリカ政府の研究機関による研究(IOMレポート、1999年)では、このような説に根拠はないと否定されています。大麻には取り締まらなければならない理由がはっきりしていないのです。
 大麻は中央アジア原産の植物で、縄文時代の遺跡からも大麻の繊維から作られた糸や紐が見つかっています。昔から日本人は糸、縄、布、紙などいろいろな用途に大麻を栽培してきた歴史があるのです。大麻の種は油を取ったり、食用にしたりと、生活に根づいた有用な植物でありました。
 最近、欧米では、環境問題からも石油化学製品やパルプに替わる多様な用途のある植物資源として大麻は注目されています。アメリカでは医薬として注目され、州レベルでの合法化が実現していることは日本のマスコミも報じています。
 
 大麻は人体に比較的安全なことが先進諸国の間では共通認識になろうとしています。その上で、欧州連合(EU)では大部分の国が個人使用の範囲であれば大麻の所持、使用、栽培を容認するようになっています。
 オランダでは1976年から有害性の強いヘロインやコカインなど(通称、ハード・ドラッグ)の麻薬と、(ソフト・ドラッグの)大麻を区別し、自己使用分の少量の大麻に限り罰しないようになっています。デンマーク、ドイツ、ベルギー、スペイン、ポルトガル、スイス、フランス、イギリスなどの国々でも大麻の容認化が進んでいます。
 アメリカやカナダでも大麻の個人使用の「非犯罪化」が議会で提案されたり、政党や政府の役人が支持を表明したり、住民投票で自由化の是非が問われるなど、大麻を容認する動きが活発化しています。
 先に述べました欧州連合の国々で進められている容認化は、大麻の「非犯罪化」といわれる考え方に基づいています。それは、大麻を使用することによって生じ得る弊害と、使用者を罰することによる弊害とを比較して、個人あるいは社会に対する危害を最小限に抑えることに主眼を置き、対処しようというものです。その結果、比較的安全な大麻を使用する行為は、刑事罰を科するには値しないという良識的判断に至り、「非犯罪化」が実現しました。
 科学的な調査・研究に基づき、人権を配慮した欧州連合の国々の大麻問題に対する指針は十分、参考に値するものではないでしょうか。日本も大麻問題について、このような世界的な動向を考慮に入れたグローバル、かつ理性的な視点から、改善すべきだと考えます。
 
 大麻取締法では、大麻の単純所持について5年以下の懲役。栽培について7年以下の懲役と定められています。大麻が使用者本人の心身に及ぼす影響、及び社会に及ぼす影響と、刑罰の重さを客観的に比較した場合、大麻取締法は、非常に過酷な刑罰を科しています。
 最初に指摘しておきたいのは、刑事事件の被疑者として逮捕されること自体が大変な社会的制裁であることです。長期間の拘留や「犯罪者」としての取り調べなどにより精神的苦痛を受けることはもちろん、当人が会社員の場合、職を失うとか、自営業の場合、店の経営が困難になるといったケースは多々起きています。また新聞やテレビの実名報道により、プライバシーの侵害や社会的信用を失う、家庭崩壊や親戚・近所つき合いに支障をきたすことなどが起きています。有罪判決を受けた場合、刑に服しても「前科」「前歴」がつき、その後の社会生活にハンディを受けます。車の運転に際し、免許証の前歴照会から要注意人物扱いされ不本意な車内捜査をされたという苦情をよく耳にします。海外渡航に際し、パスポート申請、ビザ取得などで制限を受けるケースも起きています。
 人権への配慮と治療の見地から欧州連合の国々では、一般的にハード・ドラッグの薬物依存者を犯罪者ではなく、患者として扱うようになっています。大麻のようなソフト・ドラッグを個人使用のために持っていた一般市民を、刑事事件の犯人として扱う日本は、自ら国民を犯罪者に仕立て上げるという愚挙を行っているのです。

 日本国憲法ではわたしたち国民の人権について、次のように述べています。
 「第11条 国民は、全ての基本的人権の享受を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」
 「第13条 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
 いま日本で行われている大麻取り締まりは、憲法の条文と、その基にある民主主義の理念から判断すると、基本的人権を侵害しています。
 しかし、これまで「麻薬汚染」「乱用薬物」といった扇情的な広報活動により、大麻取り締まりは正当化されてきました。人権侵害がまかり取っているにもかかわらず、社会的な偏見のために被害者は沈黙せざるを得なかったのです。ここで被害者というのは、大麻事件で逮捕された一般市民のことです。
 大麻事件は、よく被害者のいない犯罪だといわれます。大麻を使用したことにより、自分自身、友人、家族、職場、地域社会にどれ程の害をもたらすのでしょうか。現在、普通の社会生活を営んでいながら、大麻を使用している人はかなりの数になると思われます。 彼・彼女らは公共の福祉に反するようなこともなく、あたりまえの日常生活を営んでいるのです。それらの人々は自分自身、友人、家族、職場、地域社会に対し、問題になるようなことなどまったく起こさずに毎日、普通に暮らしているのです。
 この半世紀、飲酒により急性アルコール中毒を起こしたり、喧嘩・事故を起こし多くの人が亡くなっています。アルコール依存症は社会問題にもなっています。しかし、大麻の使用が原因で中毒死したり、犯罪を犯したようなケースは皆無です。大麻の依存症や、大麻が原因の病気や事故は起きていません。大麻がもたらすほとんど唯一の弊害は、それが法的に規制されているため、所持・栽培すると逮捕されることにあるのです。

 現代では、これまで社会的に救済の取り組みがなされてきた人権問題に加え、新たに高齢者、アイヌの人々、在日外国人、同性愛者、冤罪や薬害の被害者、感染症の患者さんたちなどの置かれている状況を人権問題としてとらえようとしています。さらに女性へのセクシャルハラスメントや子供へのいじめ・体罰・児童虐待、知的障害者への虐待などの社会問題を人権擁護の立場から救済すべきだという声があがっています。
 民主主義に於いては、多数決原理や法治主義といった原則を補佐するためにも常に社会の少数者(マイノリティー)の権利に留意することが大切だと考えます。当然ながら、大麻を愛好している人たちの存在は、公共の福祉に反しておりません。また、異なる意見や態度に対する寛容さが成熟した社会には問われています。
 大麻がそれを用いる人の心身にも、社会にも大きな弊害をもたらさないにもかかわらず、刑事事件として扱われている現状は、大麻を経験したことがあり、それを好ましいと思っている人たちにとっては、自らの人権を侵害されていることに他なりません。ここに於いて、大麻取り締まりは、人間の人格・尊厳・倫理を強権により圧迫しているものだと思わざるを得ません。
 人権の問題は,一般的に当事者が声を上げるまでは社会の普通の人々には見えない(つまり存在しない)問題だったのではないでしょうか。わたしたちは自らの人権、及び友人・知人に限らず大麻取り締まりにより人権を侵害されている全ての人の人権を守るために声を上げていきたいと思います。
 日本に於いても大麻の容認を求める人々が少なからずいるのです。大麻の容認を求めている人たちは「薬物乱用」「大麻汚染」「大麻常習乱用者」等々といった反社会的な、おぞましいイメージとは無縁の健康的な普通の社会人です。
 また、現在、大麻を医薬として必要としている患者さんたちもいます。難病の中には、大麻が最も有効な治療薬であることが認められているものもあるのですが、患者さんたちは大麻が規制されているために十分な治療を受けられないでいます。大麻が医薬として使えるようになることは、患者さんたちの人権として当然の権利ではないでしょうか。
 最後に、いま日本では、大麻事件に関しては、良心に反する裁判が行われていることも指摘しておきたいと思います。大麻事件の被告の多くは、大麻取締法に違反したということは認めても、悪いことをしたとは自覚していません。自らが大麻を使用することにより、心身の健康を害するようなものでないこと、社会生活に支障をきたすようなものではないことを実体験に基づき知っているのですから、それは当然のことです。
 ところが逮捕されると、自己の利益を守る(刑を軽くする)ためには検事や裁判官の心証を良くしなければなりません。法廷では情状をよくするために反省の態度を示すことを強いられます。自ら刑が重くなるのを覚悟してまで、正直に、大麻が悪いものではないという意見を述べるのはきわめて難しいことです。
 大麻事件の裁判では、被告は自己の利益を守るために大麻について虚偽の発言をせざる得ないのです。
 大麻事件で逮捕され、刑に服した後も、裁判に納得がいかず悩み続ける人、法廷で虚偽の反省をしたことに良心の痛みを感じている人がいるのです。大麻事件では、自らの良心を踏み絵にした裁判が行われていることは大きな矛盾ではないでしょうか。

2001年5月5日 
マリファナ・マーチ参加者一同
カンナビスト
 

〜提案〜

  1. 覚せい剤、麻薬・向精神薬などと大麻を切り離して考えていただきたい。薬物5法(麻薬及び向精神薬取締法、大麻取締法、あへん法、覚せい剤取締法、通称「麻薬特例法」)として一括りにされている「乱用薬物」から大麻を外すべきです。
  2. 行政当局は、大麻を「乱用薬物」と見なし大々的な規制キャンペーンを展開しています。そこでは大麻について、過剰に危険視した非科学的記述がまかり通っていますが、このような偏見を改め、世界的にも妥当な科学的で公正な記述をすべきです。
  3. 大麻について、国は個人使用目的の少量の所持・栽培に関しては容認すべきです。
  4. 医薬品としての大麻の有効性が認められている病状・疾患に対する治療目的での所持・栽培に関して、国は容認すべきです。
  5. 取り締まり当局は、上記(3.4)の条件の場合に限り、逮捕、起訴を見送るべきです。
  6. 裁判所は、上記(3.4)の条件の場合に限り、実刑判決を出さないようにすべきです。
  7. 新聞、テレビなどマスコミは、大麻問題に対して公平で客観的な報道姿勢をとるべきです。現在、大麻 問題をどのように考えるかは、社会的に意見が対立しているというのが客観的な状況だと思います。このように意見が対立している問題については、公平にできる限り多くの角度から論点を明らかにすることが 報道機関のとるべき姿勢ではないでしょうか。また、大麻事件について、人権擁護の立場から逮捕者に対する実名報道を控えるべきです。