2003年5月11日マリファナ・マーチ
東京宣言(全文)

 

マリファナ・マーチ 2003東京宣言

 大麻(マリファナ)は「麻薬」ではない。これは世界の成熟した民主主義国ではいまや共通認識となっている事実です。オランダ、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、イギリス、スイスをはじめとするEU諸国やカナダ、オーストラリアでは個人レベルでの大麻の所持や栽培について自由化が進んでいます。アメリカでは州の選挙で大麻の合法化について問われるなど大麻の規制を見なおす動きがある。この背景として大麻には体の健康や社会に与える有害性・危険性が少ないという事実が明らかになってきたことがあげられます。
 ところが日本では毎年、千数百人もの人々が大麻取締法により逮捕され重い刑罰を受けています。いわゆる先進7カ国(G7)の中で日本だけが時代錯誤のような大麻取り締まりを続けている。日常生活からかけ離れた劣悪な環境で長く拘留され、「犯罪者」扱いされる裁判、それに伴い失職や退学に追い込まれる人たちがたくさんいます。逮捕された本人ばかりでなく、その親が仕事を辞めざるをえなくなった。マスコミの実名報道により地域社会から家族が疎外されてしまった。後々、車の免許証照会で不快な容疑者扱いをされた。国際結婚した夫婦が大麻取締法違反に関連して入管法により別居生活せざるをえなくなったなど多くの人々の人生を傷つけている。これら大麻事件の被告は、どこにでもいるごく普通の若者、社会人や学生、つまり国民です。
 
 タバコやアルコールに比べても有害性・危険性が決して高いとはいえない大麻をこのように厳しく取り締まらなければならない理由はどこにもありません。事実、取り締まり当局にしても大麻が有害で危険なものだという科学的な根拠を示せないでいます。
 取り締まり当局は「乱用薬物」という曖昧な言葉で大麻取り締まりも正当化しています。しかし大麻は、覚せい剤やシンナー、ヘロインなどとは化学構造も薬理作用も全く別物であり、切り離して考えるものだというのが先進諸国では共通認識になっています。国民に対し、大麻にはそれほどの有害性・危険性はないという正しい情報を公開せず、おどろおどろしい「乱用薬物」キャンペーンを繰り返すだけの姿勢は、主権者を欺く愚民化政策ではないでしょうか。また、大麻取り締まりに関わる捜査費用から裁判、刑務所の維持などは、国費(税金)の無駄使いであることも指摘しておきます。
 大麻取り締まりによって生じるこのような悲劇は公権力による人権侵害だと言っても過言ではありません。国の最高法規である憲法で保障された基本的人権が守られていない状況にあるのです。
 行政は法律を執行しているだけだというのでは、無責任で硬直した官僚主義だと言わざるを得ません。大麻取締法は、半世紀以上昔の占領下に作られた法律であり、当時、大麻による弊害が起きていたわけでもなく、危険性や有害性の有無についても検証されないまま立法化された経緯があります。厚生労働省、警察、検察は、主権者である国民をいたずらに「犯罪者」にしているのです。
 裁判では、ただ形式的に法律を当てはめ大麻事件の被告が裁かれています。司法は、大麻が人を刑務所に入れなければならないほど危険・有害なものであるのかという核心的な判断を避けています。公正な裁判がなされることを信じてきた多くの被告(国民)はそれに納得のいかないまま、裏切られた思いで判決を聞いているのです。裁判所は法秩序の正当性を自らが崩していることに気づくべきです。このような裁判を続けるならば、国民は司法への信頼を失うことになりかねません。
 マスコミはこれまで大麻について偏見に基づいた報道を行ってきました。大麻を過度に危険な「麻薬」のように報じるテレビ、新聞、週刊誌により国民は大麻への誤解を植えつけられてきたのです。マスコミは、西欧諸国で進んでいる大麻自由化の流れを、そして日本でも大麻の自由化を求める声のあることを無視し続けるのでしょうか。大麻問題のように事実に反する情報が常識としてまかり通っている事態に際しては、国民に真実を伝え啓蒙するというマスコミの社会的責務が大きく問われていると思います。われわれはマスコミ関係者に対し勇気をもって公正な報道を行うように呼びかけます。
 また難病の中には、大麻が最も有効な治療薬であることが分かっているものもあるのですが、患者さんたちは大麻が規制されているためにそうした治療を受けられないでいます。大麻が医薬として使えるようになることは、患者さんたちの人権として当然の権利です。われわれは、医療目的に大麻を用いることができるようになることを求めます。
 
 われわれは、有害で危険なものを野放しにしろと強要しているのではありません。有害でも危険でもないものを厳しく取り締まっているのは理不尽ではないか、その犠牲者をなくすべきだと訴えるのです。それは、当たり前の人間としての道理です。
 大麻の自由化は、大麻を好ましく思っている推定数万から数十万人のいわば社会的マイノリティ(少数者)だけに関わる問題ではありません。社会全体から見れば、少数の人間にしか関わりがなく、多くの人たちにとっては直接関係のない問題だとしても、それにより人権を侵害されている人が存在しているという現実に対しては、この社会で暮らす全ての人々は無関係ではないはずです。
 よりよい社会を築くということは、どのような未来の理想を語るよりも、まず今現在、貧困や差別、抑圧など不幸な状況に置かれている人々を救うことからはじまるのだと思います。不幸な状況に置かれている人々への共感やいたわりが人間社会の根本になければ、その社会にはいかなる未来もありえません。理不尽な大麻取り締まりにより人生を傷つけられる人々をなくすことは、この日本をよくすることでもあるのです。大麻の自由化は人権が本当に守られる社会、公正で人道的な社会、人間としての道理に反しない、自由で暮らしやすい社会に日本がなれるかどうかという試金石でもあるのです。
 われわれは、大麻の自由化が良識に基づいた世界的な世論であることを踏まえ、日本においても現在、規制されている薬物の中から大麻を切り離し、その所持・栽培を個人使用に限り容認すべきだと訴えます。

2003年5月11日 マリファナ・マーチ(東京)参加者一同