カンナビスト・サロン 過去ログ
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大麻による意識の変化と日常とのギャップ

04/11(火) 03:34:20 たくろう 突然ですが。
たくろうと申します、はじめまして。
突然ですが、質問よろしいですか?

以下の発言は、以前大麻を吸っていたという人によるものです。

>吸っている時と、ハッパを絶った時の
感受性の違い、これが参った。
吸ってた時はそんな事全然解かりません
でしたよ。
辞めた今、ハッパ無しでいろんな事に感動
してた自分が懐かしくて。それと何か集中力が
出ない時とか、物忘れした時とか、そんな何でも
無いことでも過去にハッパやってたのが原因の
ような気がして非常に後悔してしまうんです。

ほとんどの(どこぞの広報とかの)大麻批判は、はっきりい
って論外かもしれませんが、この意見には僕はかなり考えさ
せられました。

大麻によって一度意識構造の変化を知ってしまったがゆえの
困惑というわけです。身体に対する毒性は大麻より酒のほう
が高いとはいえ、人間の日常の認識に対するショックという
効果では、大麻のほうが上なのでしょうか?そして、経験者
は大麻が効いてないと感受性が大幅に低下したように思えて
しまう。断麻した人の中にはそれが原因でブルーになる人も
いる(「ハッパやってなかった頃の感受性には戻れない」)。
これは精神依存性云々というのと微妙に違う問題だと思います。

対して、てめーの感受性の貧困を大麻のせいにするんじゃねぇ!
と一喝するのが正道かもしれませんが、それでもなんとなくひっ
かかってます。カンナビストさん達の意見を聞いてみたいです。

最後に僕の意見としては、「諸外国で得た(笑)、大麻等によっ
てもたらされた精神変容は重要な経験として大事にしつつも、最
終的には誘引物質なしでも、鋭い感受性や個性的なものの見方を
発揮できるよう努力すべし」です。

以上は、このところの議論の流れからすると場違いかもしれません。
邪魔して申し訳ありませんでした。


04/11(火) 16:25:44 脱兎 「突然ですが」について
たくろうさん、面白い問題提起ですね。
 最初に「以前大麻を吸っていたという人」というのは、どのぐらいの頻度で、どのぐらいの期間、吸っていた人だったのでしょうか?

 「経験者は大麻が効いてないと感受性が大幅に低下したように思えてしまう。断麻した人の中にはそれが原因でブルーになる人もいる(「ハッパやってなかった頃の感受性には戻れない」)。これは精神依存性云々というのと微妙に違う問題だと思います。」とのご意見についてですが、小生はこんなふうに考えています。
 大麻の効果で、確かに人間の意識・精神の世界は変わります。どのように変わるかということを言葉で説明するのは難しいですが、その一部(全部ではありません)として認識している世界が広がるという面があるように思います。この場合、広がるというのは次元とでもいったらいいのか、白黒テレビを見ていた人が初めてカラーテレビを見たとき、あるいは普通のカラーテレビを見ていた人が初めて立体映像のカラーテレビを見たときのようなものだと思うのですが。
 さて、たくろうさんの問題提起は、こういう認識の世界を体験した人が、それ以前の世界を振り返ったときどう感じるかということだと思います。形式論理みたいな言い方では、「感受性が大幅に低下した」というよりは「感受性が普通の状態に戻っている」というような関係になるんだと思います。まあ、本人にしてみれば素面の状態が「普通」ではなく劣った状態に感じられるんでしょうが。
 そのあたりのことは、ドラッグ一般に言えることですが、どのようにドラッグとつきあうかという問題だとおもいます。今、お花見が賑やかですが、もしお酒がなくても同じように楽しめるかといえば、やはり普通の人にとってはお酒は不可欠だと思います。しかし、楽しいからといって、多くの人は、毎日、朝晩酒を飲みはしないでしょう。
 それと少し気になったことをひとつ。「大麻等によってもたらされた精神変容は重要な経験として大事にしつつも、最終的には誘引物質なしでも、鋭い感受性や個性的なものの見方を発揮できるよう努力すべし」という指摘は尤もと認めつつも、最近、あまりそれにもこだわりすぎない方が自然ではないかと思うようになっています。この話をしていくと長くなってしまうのですが、「誘引物質」の有無にこだわるのは一種の倫理的なイデオロギーで、本質的には虚構なんじゃないか。問題は「誘因物質」とどうつきあうかというように考えたいと思っています。

04/13(木) 01:28:51 たくろう レスありがとうございます。
>「以前大麻を吸っていたという人」というのは、どのぐらいの頻度で、どのぐらいの期間、吸っていた人だったのでしょうか?

これはもともとヤフー掲示板かなんかの書き込みで、本当かどうかは知りませ
んが、たしか期間は1年くらいで、吸いまくりのように言っていたような・・・。
いずれにせよ数回程度のビギナーの意見ではないと思います。

>「誘引物質」の有無にこだわるのは一種の倫理的なイデオロギーで、本質的
には虚構なんじゃないか

確かにそうかもしれませんね。
例えば、「酒によるハイテンションを酒なしでも実現しよう」なんて、普通は考
えないですね。結局「酒と上手く付きあえ」ってのが正論になると思います。一方、大麻の場合には、なぜ「倫理的なイデオロギー」ってのが必要になるかって
いうと、端的に言ってわが国の場合は法律で禁止されてるからなんでしょうね。

法律で規制されてるからこそ、大麻酔いの時と、自分の本来的な日常とのギャッ
プに必要以上に悩まされてしまうのかもしれません。もし日本に禁酒法が導入さ
れたとしたらどうなるでしょうか。そのとき、飲酒を行う人(すなわち犯罪者)
にとって、酒酔いの状態と素面の状態とは「社会道徳」の観点から「切断」され
ることになります(言うまでもなく現在の日本では完全に「連続」してますが)。そして、もしかすると禁酒法下では、飲酒者は意識、認識のギャップに苦しむこ
とになるのかもしれません。その結果として自らある種の倫理でもって自己規範
を作り上げてしまうのではないかと。

以上を大麻にあてはめれば、国家(法)による制限が先にあって、僕なんかは、
これと自身の意識変容への欲求を止揚するために、「誘引物質」の有無という基
準を立て、自発的に「倫理的イデオロギー」で自分を縛っているのかもしれませ
んね。そして、根本には法によるプレッシャーがある以上、このような規範定立
は、たしかに脱兎さんの指摘されたように「本質的には虚構」である可能性が高
いと思います。しかも大麻取締法のように法自体がそもそも妥当ではない場合は
なおさらです。

長くなりましたが、最後に「法律で禁止されている」ことに関してもう一言。
「大麻(ドラックでもいいけど)そのものがアイデンティティーになってしまっ
てる人」っていますよね。あと妙な優越感持ってる人とか(え?いないって?)。僕はこういう人達に対して批判的です。しかし、これも法律が先にありきだと思
ってます。
基本的には小・中学生で、酒やタバコをやってるヤツが持ってる優越感とレベル
において大差ないものが多いと思います。もちろんこれは経験則で、信念を持っ
て主張している人には敬意を払いますが。タバコ吸ってる中学生にとっては「法
律を破っている」ということがカッコ良かったり思えますから(僕なんかもそう
でした)。
二十歳を過ぎて合法になればタバコなんかなんでもなくなるように、大麻も解禁
されれば、一部のイっちゃってるお兄さん達のものという、どろどろしたイメー
ジもなくなると思います。

*僕が批判的な人達とは、例えば最近ヤフー掲示板に以下のような書き込みをし
た人です。こういう輩が大麻解禁にとっての第二の障害になっていると思います。

>チンカス(マンカス)たちへ。
クサも吸ったこと無いしょっぱいチンカスくん(マンカスさん)はネ、はじめ
っからここに書き込む資格ないのネ!
しったかぶりぶりしないでネ☆
テヘッ☆

あのあのなんかあのこのくさをもやしてすうとなんかあのきもちいいよぅあうあ
うあうあうおしっこでちゃうようおうおうおうおう<汁。

04/14(金) 17:07:46 脱兎 「誘因物質」の有無について
たくろうさん、しつかりした見識ですね。「誘因物質」の有無についてのたくろうさんの意見、まさにその通りだと思っています。こういう意見と出会えたことは、とても嬉しく思います。
 「誘因物質」に頼らなくても同じような意識レベルのリアリティを得ることができ、そちらの道の方を選ぶべきだといったような意見は、ラムダスあたりから始まったんじゃないかと思っていますが、それは「1970年前後」の「アメリカ」という場所で語られた極めて状況的な言葉ではないでしょうか(「1970年前後」の「アメリカ」がどんなドラッグ事情だったかは当然、お分かりですね)。それは時間と空間に限定されない普遍的な結論ではないように思えます。
 アレキサンダー・シュルギンというサイケデリックスの神様みたいな化学者がいます。フェニチルアミン系の物質の研究からMDMAを再び世に送り出し、DOMや2CB、2CT-2など200種あまりのサイコアクティブなドラッグを生み出した人です(先月、メキシコのパレンケというところでサイコアクティブな植物についてのセミナーがあり、そこに小生は行ったのですが、シュルギンと隣の部屋になり会ってきました)。
 シュルギンはドラッグと人とのつきあい方について次のように語っていますが、とても納得できる意見だと思っています。
 「合法であろうと非合法であろうと、すべてのドラッグはそれなりの報酬(病気の治療とか、肉体的・情緒的な痛みを和らげるとかリラックスするなど広い範囲に及ぶ)がある。すべてのブな植物についてのセミナーがあり、そこに小生は行ったのですが、シュルギンと隣の部屋になり会ってきました)。
 シュルギンはドラッグと人とのつきあい方について次のように語っていますが、とても納得できる意見だと思っています。
 「合法であろうと非合法であろうと、すべてのドラッグはそれなりの報酬(病気の治療とか、肉体的・情緒的な痛みを和らげるとかリラックスするなど広い範囲に及ぶ)がある。すべてのドラッグはリスクがある。そしてすべてのドラッグは濫用されうる。結局、私の意見ではリスクに対して報酬を推し量ることや、どちら(リスクか利益か)が重要であるかの決定は個人に委ねられているのである」シュルギンは個人が自立した判断ができるためにしっかりした正確な情報が誰にでも入手できることが条件だとしている。
 こういった個人の自己決定が認められるためには、国の規制や干渉が問題になる一方、人々の民度も問題になりますね。たくろうさんが「僕が批判的な人達とは……こういう輩が大麻解禁にとっての第二の障害になっていると思います」というのも確かに言えることで、程度が低いですね。コンビニなんかで売られている雑誌に載っているドラッグがらみの情報というか、記事もそうですが、情けないほど無内容で、誤りが多くて本当に消耗です。
シュルギンの語っているようなレベルまで日本の民度が上がることを願っています。

 最後に、お知らせです。小生は麻生結という名前なんですが、今週の日曜日と来週2回、マリファナについての話をすることになっています。一応、宣伝しておきます。
「マリファナ=大麻についてのホントの話」(第34回ふにゃこん講座)
 4月16日(日)午後2時から
 4月19日(水)午後2時から
 4月21日(金)午後7時から
 会場・幡ヶ谷診療所(東京都渋谷区幡ヶ谷1−3−1 京王新線幡ヶ谷駅の改札を出てすぐの駅ビル内3階にあります。改札口は一つで、駅から2分ほどです) 会費2000円

 「ふにゃこん講座」というのは、漢方薬中心のユニークな診療所「幡ヶ谷診療所」の医師川勝さんが主宰している心身の癒しや健康を中心に語り合う講座です。誰でも参加できます。
 ひとくちにマリファナといっても意識変容という面、法律的な面、それに医薬として面などいろいろな論点がありますが、今回の「ふにゃこん講座」は特定の論点に限定しないで自由に何でも語ろうということになっています。何でも語るといっても、真面目な講座なので、マリファナ体験が講師(麻生)の生き方のなかでどんな意味があったのかといったテーマで語れないかと主催者から要請されています。3回とも同じような内容(日程によってこれない人のために3回行うというのがこの講座の特徴)です。


04/17(月) 00:44:12 意識の変化に関して
意識の変化をもたらすのは何も大麻やドラッグだけではありません。
確かに大麻を吸った時の意識状態で音楽を聞いたり映画を見るといった体験をすると、その後はしらふの状態では物足りないと感じるようになる人も多いでしょう。
しかし、こうした意識の変化の体験は、日常の生活の中でも、いくらでも起こり得ることです。
例えば、いつも一人で食事をしたり映画を見たりして十分に楽しめていた人がいたとします。
そんな人でも彼女や彼氏ができて、一緒に食事や映画を楽しむようになると、もう一人では物足りなくて食事や映画に行かなくなってしまうのと同じだと思います。
だからと言って、誰も彼女や彼氏ができたことを批難する人はいないでしょう。
また、一人に戻った時に寂しくなるから異性とはつき合わないという考え方にも賛成しかねます。
なんて、「バッファロー66」を見ながら、そんなことを思う今日この頃です。

01/20(土) 00:46:47 大麻の変性意識
本サイトのトップページからもリンクされているオルタードディメンションのホームページに「麻生結のひとりごと」のコーナーがあります。
毎回、変性意識に関する興味深い考察が繰り広げられており、楽しみにしているファンも多いと思いますが、今回の「大麻の変性意識について(4)」は特にお勧めです。
まだ、ご覧になっていない人は、是非読んでみてください。